「ググれば分かることを質問する」を考える
「ググれば分かることを質問するな!」という趣旨のことは、日本中で1日に何回、言われたり書かれたりしているんでしょう? 100回や1000回ではないと思います。10000あるいはそれ以上のオーダーではないかと思われます。
ここで言う「質問」は口頭ではなく、メールとか掲示板とかのことが多いです。質問する手間暇とググる手間暇では、ググる方がかからないと思われます。まして、答を得るまでの時間で言うなら、圧倒的にググるのが有利です。
でも、ググれば分かることを質問する人は後を絶ちません。
ググれば分かることを質問するのと、似ているような違うような話としては、正当な質問先があって、そこからは正確な回答が期待出来るのに、そこに質問せずに、SNSとか匿名掲示板とかに質問する人がいます。
例えば、クルマの調子が悪いのなら、購入元のディーラーに相談するのが筋ですし、ディーラーには専門家がいますし、その専門家は現物を見ることが出来ます から、正しい判断が期待できます。でも、ディーラーに相談せずに掲示板です。ディーラーに相談出来ない理由とか、相談したくない理由があるのならともか く、そういうわけではないので、「ディーラーに持って行きましょう」という回答に「そうですね」と答えたりします。
例えば、何かの習い事をしていて、それに関する質問があるなら、習い事の先生とか講師とかに質問するのがもっとも真っ当なことだと思いますが、それをせず に掲示板で質問。先生が当てにならないとか、先生に会うのがしばらく先だからとか、そういう理由があるわけじゃなく、「文章では説明しにくいから、先生に 質問して、お手本を見せてもらえば?」と言われて、「そうですね」と納得します。
問題解決のための、普通のルートがあるのに、そのルートを選択せず、ネットの向こうにいる、責任の何もない不特定多数に頼ろうとする人は、後を絶ちません。もしかしたら、中学生以降、授業中に挙手して質問したことがない人かもしれません。
「ググれば・・・」と「正当な・・・」の二つの事象は、やはり似たことなのかもしれません。
自己主張することではなく、質問することによって、何かしらのコミュニケーションが成立することを期待していて、そのために、自分の中で質問が発生することに飢えていて、質問が頭に浮かぶと、脊髄反射のようにカキコなる行為を行う、ということじゃないかと思ってます。
おそらく、質問することも、そこに何らかの回答が来ることも、彼または彼女の中では、快感なんでしょう。あるいは、快感の期待があるのでしょう。疑問なり質問なりの問題解決のためには何をどうすれば良いか、という思考よりも、カキコとやらの行為が優先してしまってます。
問題解決のためのひとつの手段として、不特定多数に尋ねることがあっても良いわけですが、彼らにとっては、「問題解決のためのひとつの手段」ではなく、「質問と回答による、不特定多数とのコミュニケーション」なんですね。
コミュニケーションを求めることが悪いわけじゃありませんが、良質なコミュニケーションを成立させたかったら、良質な質問とか、良質な自己主張とかが必要 だと思います。脊髄反射の質問など、足下を見られるだけですし、自己主張が感じられない人に、興味の持ちようもありません。

