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パソコン・インターネット

2009年11月14日 (土)

スーパーコンピューター

例の事業仕分けには賛否両論、というか、否の声の方がかなり大きく聞こえるような気もしますが、消極的賛成も含めた賛成側よりは反対側の方がより声を上げるでしょうから、実際のところはどちらの世論が優勢なのかは分かりにくいところです。

という話はともかく、270億円の「次世代スーパーコンピューター」関連の予算削減に関しては、私は強く賛成します。

私は一般論として、「科学技術や研究開発には投資すべき」という側の人間のつもりですが、「次世代スーパーコンピューター」はいけません。

「次世代スーパーコンピューター」が何かを、ある程度正確に理解している人は、どの位いるんでしょうか?

現在「スーパーコンピューター」と呼ばれているものは、20年程前の「スーパーコンピューター」の概念とは大きく異なります。簡単に言うなら、膨大な数の「普通のコンピューター」を接続して、それらに効率よく分業をさせて高い演算性能を得る、という考え方のコンピューターが現在の「スーパーコンピューター」の主流です。

本当に普通の、Webからでも買えるような、インテルプロセッサのサーバーを何千台何万台と繋げるんです(別のプロセッサーのこともあります。AMDとかIBM Cellとか)。それぞれのサーバーにはGPGPUと呼ばれる補助プロセッサが搭載されることもありますが、そのGPGPUはゲーム用パソコンのグラフィックスボードに乗っているものと基本的に同じです。

つまり、「スーパーコンピューター」のハードウェアは何ら特別なものではなく、汎用サーバーと汎用のプロセッサを膨大に使っているだけです。「スーパーコンピューター」を「スーパー」たらしめているのは、その膨大さと、「効率よく分業させる」ためのソフトウェアです。

おそらく、270億の予算の大部分は、普通のコンピューターを膨大に購入するために使われます。「効率よく分業させる」ための技術を馬鹿にするつもりはありませんが(実際、大変なことです)、予算の上ではそこに使われるのは微々たるものでしょう。

それが現在の「スーパーコンピューター」の実態です。そのようなアプローチ自体が悪いわけではありません。短期的に比較的低いコストで最大の結果を生むには、汎用品を大量に使うのは合理的なアプローチでしょう。

ただし、そのアプローチが、国が「次世代スーパーコンピューター」云々といって予算をつけるに値するかどうかは別問題です。大学や企業やその連合体が独自にやっても良いことです。

科学技術や研究開発に投資すると言うなら、本当の「次世代」の技術に投資して貰いたいと思います。NECや富士通や日立の中には、かつてのスーパーコンピューターの開発に携わった方々がまだいらっしゃるでしょう。採算が取れずに(かつ性能面でも不十分で)スーパーコンピューター開発から撤退したものの、捲土重来を期したい優秀なエンジニアはまだまだいると思います。

国はそういう所にこそ投資すべきでしょう。インテルなどの米国企業の技術をベースにした、汎用サーバーを大量に使うだけのスーパーコンピューターではなく、本当の「次世代」の技術開発に投資して、スーパーコンピューターの世界でのブレイクスルーを日本発の技術で果たすためなら、国は予算をつけるべきだと考えますが、汎用品を大量に購入するための予算なら、削っても構わないと思います。

予算の中身を変えて、本当の「次世代」のための研究開発に使うのなら、270億も使わなくとも、それなりのことが出来そうな気もします。NEC、富士通、日立から優秀なエンジニアを集めて、新しいスーパーコンピューターのアーキテクチャを設計する、なんていうことこそ(絶対に成功する保証はありませんが)、科学技術への投資でしょう。

2009年11月 6日 (金)

ソフトウェアもエコを考える時代

サーバーやPCのハードウェアに関しては、何年も前からエコという概念があって、消費電力を抑えたタイプの製品が開発されて来ました。

これからは、ハードウェアだけではなくソフトウェアも消費電力を抑えることを考える必要があるのかな、と半分ジョークのような、いやいやマジメなことのような、そんなことを考えてみました。

例えば、我々が使うアプリケーションの典型的な例としてブラウザを考えますが、ブラウザでWebページを表示して、ページ内で動画再生などの処理がされていない場合でも、ブラウザは我々の目には見えないような処理をあれこれやっています。

その処理は必要不可欠なものもあるでしょうし、不可欠ではないが、性能を向上させたり、操作性を上げるためにやっているものもあるでしょう。

その様な処理によって、CPUの使用率が上がります。そして、CPUは熱を持ち、ファンが回り始めます。当然、何もしないでいるよりも電力を消費します。

また、ブラウザは表示するデータなどを扱うために、データを格納する空間を確保します(仮想記憶領域と呼ばれます)。それは通常、メモリの上に置かれることになりますが(厳密にはもっと複雑ですが)、メモリの容量が足りなくなると、それを補うためにHDDなどが使われます。

メモリとのデータのやり取りと、HDDとのデータのやり取りでは、後者の方が格段に電気を食います。従って、データを格納する空間をたくさん取れば取る程、メモリが足りなくなる確率が上がり、消費電力が大きくなる可能性も高くなるのです。

ブラウザ以外の他のアプリケーションでも、このようなことは成立します。ソフトウェアは消費電力に影響しうるのです。

おそらく、これまでのプログラマーのほとんどは、そのプログラムを動作させた時の、ハードウェアの消費電力がどうなるか、という意識は全くなかったと思われます。プログラマーの意識は、機能を実現すること、性能を向上させること、バグがないこと、メンテナンス性や生産性の良いコードを書くこと、などに限られていたでしょう。

「ムダにCPUを使用しない」とか「仮想記憶をばかばか取るのは止める」とかいうことは、複数のアプリケーションを同時に使用することが当たり前の環境では、総合的には性能や操作性を向上させることにも繋がると思われます。

つまり、エコなプログラミングは、単に消費電力を抑えるだけではなく、使用者にとって快適なソフトウェアになる可能性もあると思います。

「これからはソフトウェアもエコを考える時代」と言い切るほどの自信はありませんが、ひとつの考え方として提示してみました。

2009年11月 4日 (水)

日産がTwitterを、キャバクラもTwitterを

私がTwitterを始めて一ヶ月半。

企業のTwitterアカウントもあります。

日産自動車が東京モーターショー期間に設けたTwitterアカウントの活動は秀逸でした。日産の展示物や発表の内容には文句を言いたいこともありましたが、おそらくは日産の広報チームが何人かでやっていたTwitter活動に関しては、惜しみなく賞賛を送りたいと思います。

ほんと日産の広報は良い仕事をしたと思います。日産ブースの展示物の紹介、カルロス・ゴーンCEOのメッセージの紹介、新しいテクノロジーの紹介などの合間に、担当の方の人間味を感じさせる投稿もまじり(「ドロリッチなう」とかね)、投稿を追う人に宣伝臭さを感じさせないやり方は、初Twitterとは思えないと共に、大げさに言うなら、今後の企業Twitterのあり方に対してのベンチマークとなったと解釈しても良いでしょう。

某携帯キャリアが、新製品発表の実況をTwitterでやって、評判を落としたのとは対照的でした。

個人的な心残りは、「リアル日産たん」と呼ばれていたTwitter担当の美女(らしい)を、東京モーターショーの現場で確認する事が出来なかったことでしたね。

ところで、昨日、キャバクラのTwitterアカウントを発見しました。キャバ嬢のアカウントではなく、キャバクラのアカウントです。3店舗程見つけました。探したわけではありません。「キャバクラからフォローされた」という人のフォロワーリストを見ただけです。

そのキャバクラアカウントの投稿ですが、これがもう、悪い見本みたいなものでした。「本日、20時までにご入店の方、○○○○をサービス」といった類の宣伝文句だけ。そんなのばっかり投稿されても、誰も見ないし、新規顧客開拓なんて出来るはずもありません。

Web 1.0的とでも言うんでしょうか、商品やサービスをアピールすることだけを考えていて、ブログとかTwitterとかの、Web 2.0と括られるような特性を全然生かしてないんですね。

ブログなら読者とかアクセス数を増やし、Twitterならフォローと増やしてフォロワーも増やして、その上で、商品やサービスの情報を発信しよう、というのは、間違ってはいませんが、ブログやTwitterといったメディアの特質を全然生かしてはいませんね。

そのキャバクラ、あまりに悲惨な状況なので、コンサルしてあげたくなりましたよ。今のままなら、近いうちに止めてしまい、「Twitterなんか全然ダメだね」なんて思うことでしょう。使い方が悪ければ、そりゃ役には立たないでしょう。

2009年10月19日 (月)

デジタル・・・・何と呼ぶ?

あるグループとか組織とかがあって、その中での事務的な連絡とか情報共有とかを考えたら、電子メールやWebを使うと効率的かつ効果的であることが少なくありません。

ところが、そのグループの中に何人か、メールもWebも出来ない人がいた場合、グループ全体のコミュニケーションの方法としてはメールもWebも使えない、ということになります。

そして、コミュニケーション手段としては、電話、FAX、郵便、回覧板などが採用されることになります。言うまでもなく、メールやWebに比べると不便なことが多いわけです。そのグループの幹事的役割の人は、手間暇やお金を余計に使ってしまうことも問題視するでしょう。

私は幸いにして、このような経験はほとんどありません。仕事関係も友人知人関係も、デジタル化というかIT化というか、メールやWebを使いこなすという意味では、一定以上のレベルの方がほとんどなので、デジタルな手段により連絡や情報共有が自然に定着しています。

ところが、友人知人の話を聞くと、少数の「使えない人」のために、アナログで効率の悪い手段を取らざるを得ない、という状況にいるケースが少なくありません。

そういった「使えない人」を個人的に批判しても何にもなりませんが、現実を冷静に見たら、そういう方々が全体の足を引っ張っているという面は確かに存在すると言えるでしょう。

趣味のサークルのようなものを立ち上げる時、入会条件として「メールとWebが使えること」を付加する、なんて話してた人もいましたが、その気持ちはわかります。

デジタル・デバイドという言葉は、「使えない」ことで本人が不利益を被ることを指した言葉だと思うのですが、「使えない」ことが周囲の不利益に繋がることは何と呼べば良いのでしょうか?

特に中高年層に対しては、携帯電話やPCを使ってのコミュニケーションや情報収集、情報発信についての教育を通し、デジタル・デバイドなりデジタル何ちゃらを軽減していくことが重要かと思いますし、実際、講習の受講料補助のようなこともされているようです。

ただ、受講する気がある人に補助するのも結構ですが、「PCも携帯も使おうとも思わない人」の方が問題ではないかと思います。もちろん、アナログな生き方を否定するものではなく、単なる心理的ハードルのために「使わなくても何も問題ない」と思っている人は、「アナログな生き方を選択する」以前の段階だと思いますので、そこは何とかすべきなんでしょうね。

デジタルなコミュニケーションが孤独な老後を救う、なんてことは、普通に想像出来るわけですから、中高年層のコンピューターアレルギーに対する啓蒙活動も重要でしょう。

でも一方で、Twitterみたいな「新しい場」について、その「場」の中の一部の事象だけを冷笑的にみ見て批判し、「場」として評価する目のない知識人も少なくないわけですけどね。

2009年10月 2日 (金)

Twitter雑感

Twitterを始めて半月ほど経ったので、現時点での感想など。まだまだ使いこなせてないのは事実なので、その点は割り引いて頂いて。

そもそも、Twitterを始めた理由は結構マジメでして、「マーケティングツールとしてのTwitterおよび類似サービスについて、自分で使用しつつ見通したい」でした。Twitter使用前と使用後で、大きく印象が違う点はないものの、この目的については順調に進んでいると思ってます。私のTwitterへの投稿はアホなセリフばかりですけどね。

Twitter使用前は、Twitterによってここのブログに書く事が影響を受けるとは思ってなかったのですが、実際は影響されているように思います。

ネタがTwitterに流出しているんですよ。何か見たり聞いたり思ったりしたことでネタっぽいことを、すぐにTwitterに書くわけです。140文字制限の中でも、結構書けるものです。

以前から自覚はあったのですが、ここで書いているエントリーは、短文で済むことを膨らませて書いていることが多いので、その気になればTwitterのような仕組みの中でも書ける、ということです。これは少々意外な発見でした。

実際、世の中でブログを書いている人の中で、そういう内容(比較的単純)を、その程度の長さ(短い)で、その程度の頻度(頻繁に)で書くなら、Twitterの方が適してるんじゃないか、という人は決して少なくないと思います。

現時点では、ここでブログ形式で書く事をやめるつもりはありませんが、重心がTwitterに移ることは充分に考えられます。ただ、今のところTwitterで私をフォローしているのは(つまり、私が書いたモノを定常的に読める人は)、ここの読者の1/10にも満たないと思いますので、Twitterで書くことはまだスカスカした感覚です。スカスカというのは、文字数制限ではなく、読んでいる人が少ない、という意味で。

フォロワーが増えてスカスカ感がなくなったら、もしかしたらTwitter中心になるやもしれません。

ブログとか通常のWebページのように、Twitterでは書いた内容が長期に渡って保存されませんが、それもまた良いのかもしれませんし、やっぱり寂しいような気もします。

ブログだと、一応は「以前書いたネタと重複しないように」ということは考えてますが、Twitterだとそういう配慮はいらないような気もします。

ということで、何一つ結論めいたものはありませんが、色々な意味で「予想以上に面白いものだ」と思っているTwitterでした。

そうそう、フォロワーが増えるのは大歓迎ですので、「Twitterって何?」という方も含め、左側にあるリンクから飛んで、登録後に私を「フォロー」して頂ければと思います。

最後に、世の中にはツッコミを入れやすいことを書く人っているんですね。間違いとか抜けてるとかじゃなくて、ボケてるわけでもなくて、でも何か一言いいたくなるようなことを書くんですよ。それは立派に才能だろうと思ってます。

2009年9月14日 (月)

Twitterを始めてみた

つぶやきたいことが多いわけでも、人のつぶやきを聞きたいわけでもないのですが、Twitterを始めてみました。

要するに、どんなものなのか知っておこう、という動機です。色々と利用法はありそうですが、実態を知らなければ、そういうことも机上の空論になりかねないわけで。

始めたのはいいのですが、始めたばかりは寂しいものです。ということでここで告知。

http://twitter.com/akira_takagi

フォローするなりなんなり、ご自由に。

2009年7月 7日 (火)

何故メンテナンスは予定時間に終了しないのか?

↑というタイトルですが、私はその答を持ち合わせているわけではありません。

念のため、メンテナンスとはプロバイダやブログサイトやSNSなどのメンテナンスを指します。

おそらくみなさんも似たような感覚があると思いますが、メンテナンスが予定時間に終わった試しがないと感じています。

統計をとったわけではないので、「予定時間に終わった試しがない」という感覚は、多分に正確性を欠いてはいますが、それにしても「メンテナンスが予定時間で終わらない」という事が、我々の感覚としての許容範囲以上に起こっているのは間違いないような気がします。

実態よりも過剰に感じている可能性を差し引いたとしても、まだまだ「メンテナンスが予定時間で終わらない」ことの多発に納得はできません。

銀行のオンライン・システムを停止してメンテナンスすることと、ブログサービスを停止してメンテナンスすることは、技術的には同等と考えられます。オンライン・システムのソフトウェアとブログサービスのソフトウェア(OSやミドルウェアも含めて)は同等とは言えませんし、両者で使うハードウェアも同等とは言えませんが、メンテナンス作業の項目とかそのリスクとかは大雑把には同等であろうと思われます。

ところが、銀行のオンライン・システムは、メンテナンスのために停止すること自体が滅多にはないことですし、停止しても予定時間には終了するケースがほとんどだと感じます。

銀行オンラインが止まることとブログサービスが停止することでは、社会的影響の大きさは比べ物になりませんから、銀行オンラインのメンテナンス作業の計画、見積もりから実施までのシビアさは、ブログとは比べ物にならないのでしょう。

そして、メンテナンスに携わる人の数も一桁か、あるいは二桁違うかもしれません。ブログサービスでのメンテナンスの人数は 2 - 3人、なんてことも珍しくはないでしょう。

というような事情は想像できるものの、それでもなお「何で予定時間通りに終了しないことが、こんなに頻繁にあるの?」という疑問は解決しません。

Webが登場してから、あるいはWindowsがサーバーにも使われるようになってからなのかもしれませんが、コンピュータ技術者の平均的技量が低下している(あるいは、素人がシステム管理をしている)感覚はありますが、それも定かではありません。

ただマクロに見て、メンテナンスが予定時間で終了しないことは、関係者の技術や経験に何らかの問題があると考えて良いと思いますし、予定通りでない頻度が高いほどその問題は大きい、という認識も間違ってはいないと思われます。

2009年7月 6日 (月)

絵文字が嫌いな理由

はっきり言って、私は絵文字が嫌いです。「嫌い」の意味は、「自分では使わない」ということで、「絵文字を使ったメールを受け取るのも嫌」とか「絵文字を使う人が嫌い」とかではありませんので、そこんとこは誤解なきよう。

私が絵文字を嫌いな理由は、大別すると二つあります。ひとつは日本語表現上の理由で、もうひとつは技術的理由です。

まずは日本語表現上の理由。絵文字を文章におけるアクセント程度に使っているうちは、特に問題もないのですが、文末には絵文字、文節毎に絵文字、単語を省略して絵文字、絵文字の羅列となってくると、その文章の筆者は表現したい事を絵文字に頼り、日本語の文章できちんと表現しなくなる傾向があります。

これがイヤです。厳密に言うなら、そういう状況がイヤであって絵文字がイヤではないのですが、私は曖昧な絵文字に頼らず、文章できちんと表現したいので(出来ているかどうかは別問題ですが)、自分が文章を書く時には基本的に絵文字は不要であり、むしろ邪魔ですらあります。

そういう意味では、絵文字に限らず、通常の文字を組み合わせた顔文字なども同類です。絵文字と同様の意味で、顔文字も嫌いです。

ついでに言うと、書く側ではなく読む側において、文章をきちんと読解せず、メールに絵文字がないというだけで「怒ってる?」などと感じてしまう、その種の感性の歪みを生じやすいことも、絵文字(をとりまく状況)が好きになれない理由です。

さて次に技術的理由です。正確に言うと、技術を提供する側の見識の問題でしょう。

基本的に、絵文字には互換性とか相互運用性とかがありません。携帯メールなどでは、一部の互換性は実現されていますが、携帯メール、普通のメール、Web(ブログやSNSや掲示板など)、ワープロなどのオフィス製品、その他のアプリケーション全般において、絵文字を統一的に扱う仕様はありません。

そもそも、絵文字の発祥においては、コミュニケーションという視点がなかったと言わざるをえません。自社携帯同士での極めて限られたコミュニケーションにおいてだけ絵文字が成立すれば良い、という視野の狭い見識があっただけで、上記のような広いコミュニケーションのことは考えられていなかったわけです。

「自社の製品を使うと、こんなにいいことがあるよ」というのは結構なことですが、「こんなにいいこと(例えば絵文字)」がコミュニケーションに関係することなら、勝手に自社独自仕様を作るな、ということです。もし携帯会社が「絵文字を扱えるようにしたい」と考えたら、勝手な仕様で勝手に実装して勝手に販売する前に、他社携帯や普通のメール、Web、アプリケーション全般において、絵文字を統合的に扱える仕組みを考え、その仕組みをしかるべき第三者機関に提案して、業界標準として認められる形にしろ、と思います。

30年前に絵文字が出て来たとしたら、コミュニケーション全般における互換性を実現する視点が欠けていても無理からぬところだったでしょう。でも、実際に携帯に絵文字が登場した頃は、普通のメールもWebも充分に普及していて、その視点を構成する土壌は充分にあったはずです。

実際、私は最初に携帯の絵文字を知った時、「また勝手な仕様を作りやがって。自社で閉じてどーする? バカか?」と呆れ果てた記憶があります。小さなベンチャー企業ならともかく、世界のトップを走っているような企業がコミュニケーションに関連する新しい技術を提供する時に、自社独自仕様で勝手に作るのは、かなりたちの悪い反則行為だと思うのですが、そういった例は今でもしばしば目にします。

これは一般利用者には何の責任もなく、「絵文字メールを送っても文字化けする」など、むしろ被害者と言ってもよいわけですが、上記の理由で、私の目から見ると、「絵文字という仕組み」は非常に醜いのです。許しがたい仕様、と言っても過言ではありません。こんな醜い仕様のものを使うものか、という気持ちもあります。

自社独自の勝手な仕様、というのが新しい技術を切り開いて来た歴史は否定しませんし、今後もそういうことがあっても良いですが、提供側の見識はもう少し高く広いものであるべきだと思います。絵文字に関しては、後追い的に互換性が考えられてますが、まだまだ全然ダメですね。

という二つの理由で私は絵文字が嫌いなのですが、前者の理由と後者の理由の割合は、30 : 70位でしょう。

2009年6月26日 (金)

恥ずかしいぞ、Yahoo! JAPAN

Yahoo! JAPANで「トランスフォーマー!」という単語を検索すると面白いことが起こる、という情報を得たので、やってみました。(注:これは2009年6月8日から7月5日までの企画です)

そうすると、ブラウザのウィンドウ中で映画「トランスフォーマー リベンジ」のPRが始まるのですが、しばらくすると、画面が切り替わり、こんなメッセージが。

お客様がご利用の環境では、こちらのYahoo! JAPAN PR企画のページはご覧いただけません。 下記の環境やソフトウエアが必要です。 ブラウザ : Windows Internet Explorer 6.0 以上

今時、何をどうやったら、IE 6.0以上でしか見られないようなWebコンテンツが作れるのか、そこんとこ、じっくり教えて頂きたいものですね。

わざとIEの独自仕様を使っているのか、製作関係者が相当なバカなのか、Microsoftにゴマを擦らなければならないオトナの事情があるのか、何なんでしょうか?

IEでしか見られないページが、例えば映画配給会社とか化粧品会社のものなら、「ああ、アホだなあ」で済ませてやってもいいんですが、タイアップ企画とはいえ、Yahoo! JAPANというWebに関しては専門家のサイトでこれですから、開いた口が塞がりません。

はっきり言って、Yahoo! JAPANとしては恥でしょ、これは。私がYahoo! JAPANの社長なら、担当者を呼び出して尋問ですね

もちろん、オトナの事情があるなら話は別ですが、そういうセコいオトナの事情というのも、「IEでしか見られません」以上に恥ずかしいことには違いありません。

2009年6月15日 (月)

ブラウザのダブルクリック

今となってはもう遅すぎるのですが、Webブラウザでリンク先に飛ぶ時の操作は、シングルクリックではなくダブルクリックにしておくべきだったと思います。

Netscape NavigaterやInternet Expoloreの原型となった、NCSA Mosaicを最初に使った時、「何でリンク先に飛ぶのをシングルクリックにしたんだろう?」と疑問に思っていました。

ファイルのアイコンをダブルクリックして、そのファイルを扱うアプリケーションを起動する、という操作は当時から一般的でした。そして私としては、リンク先に飛ぶことも、ファイルに関連付けられたアプリを起動することも、操作の種別としては同一だろうという感覚でしたので、ブラウザでのシングルクリックに違和感を持ったということです。

もっとも、ブラウザの開発者達は、私とは逆の考え方だったのかもしれません。「ファイルを開くのとは違うのだよ」ということで、あえてシングルクリックとした、という考えがあったのかもしれません。

実質的にはWebブラウザの元祖と言ってもよいようなNCSA Mosaicが、リンクに飛ぶ時の操作をシングルクリックとしたことで、その後のブラウザのおそらく全てが、シングルクリック方式を採用しました(設定次第で変更可能なブラウザがあるかどうかは未確認です)。

当時のWebページのイメージと、現在のWebページの実態は随分と異なっていると思われます。広告系のリンクだらけのページが珍しくありませんし、それがリンクかどうか見た目だけでは判断しにくいリンクも珍しくありません。ページの面積のかなりの割合がリンクになっていることもあります。

ブラウザに限らず、複数のウィンドウを開いて作業している時に、操作対象のウィンドウを確定させるため、そのウィンドウのどこかにシングルクリックを入れる、という操作は誰でもやっていると思うのですが、それをブラウザで行うと、意図せず他のページが開かれることがあります。

もちろん、リンクではなさそうな場所を選んでクリックしているつもりなのですが、リンクっぽくないリンクだったり、描画途中にクリックしたためクリックが受け付けられた段階ではクリック位置がリンクになっていたり、といった事情で、意図しないジャンプが引き起こされるのです。そして多くの場合、意図しないジャンプはストレスを感じさせます。また、空クリックする場所を探すのに苦労(というほどでもないが)したりもします。

ブラウザの仕様が「リンク部分のダブルクリックで当該リンク先に飛ぶ」になっていたら、このようなことはほぼ確実に避けらるはずです。

ということで、ずっと前から現在に至るまで、私としては「ブラウザのリンクに飛ぶ操作はダブルクリックであるべき」と思い続けているのですが、今となってはどうしようもありません。もし、操作方法を設定可能なブラウザがあったら、それを使えば自分自身の使い勝手の面では解決ですが、「こうあるべき」という面では何も変わりません。

ところで、シングルクリックの仕様に不便を感じている人は多くないんでしょうか? 私が上に述べたようなことは、あまり聞かないのですが、感じていても言わないだけなのか、感じてないのか、どちらでしょう?